彼はIターン・彼女はUターン 暖かい人々のサポートで仕事も住まいも実現
坂田夫婦
但馬信用金庫 社福)あそう
坂田 歌奈子 29歳
但馬信用金庫
Uターンした年齢 28歳
私たち世代、いわゆる子育て世代が帰ってきたら
さらに町はどんどん変わってくると思います
坂田 翔太 35歳
社会福祉法人あそう
Iターンした年齢 34歳
僕自身ポジティブな思考なので
男の方が動いても別にいいかな、と思えたんです
豊岡市街から車で約1時間、養父市にある特別養護老人ホーム「おおやの郷」は。60人の入所者と10人のショートステイで常に満床、90人以上が入所待ちをされているという。「お年寄りは、若い方に介護されると孫にされているかのように感じられ、とても喜ばれます。例えば、幼児や小学生が慰問に来てくれると、みなさん、我々では引き出せないような笑顔を見せてくれるんですよ」と話すのは、施設長の奥康浩氏だ。少子高齢化が進むこの時代に、若い労働力を確保することは難しいが、「時間がゆったり流れる田舎の暮らしは落ち着きます。都会での社会勉強もいいことだと思いますが、地元活性化のためにUターンしていただければありがたいですね」と、控えめながら本音でアピール。
一方、豊岡市街地にある但馬信用金庫人事部人財創造課長の齊藤毅氏は、信用金庫が求める人材について、「地域に対して何かをしたい、でも何をしたいかわからないという方にとって金融機関は幅広い業種とお付き合いがあるのでいいと思いますよ」と話す。まさにその「地域に対して何かをしたい」気持ちを見込まれて中途採用されたのが、Uターンしてきた坂田歌奈子さん。
そして、「地元活性化のためにUターンしていただければありがたい」と話していた奥氏のもとには、神戸市からのIターンで坂田翔太さんがやって来た。歌奈子さんと翔太さん、ふたりは夫婦だ。奥様のUターンに同行して旦那様がIターン。これもまたひとつの形。豊岡に暮らし始めてまだ半年少しながら、翔太さんに気負いはなく、自然体で新生活を受け入れているといった印象を受けた。
神戸時代は揃って管理栄養士の仕事をしていたが、但馬エリアでの同職求人が少ないことを見越して、歌奈子さんは機会を翔太さんに譲り、今は但馬信用金庫で働いている。それもふたりが一緒に暮らすための正しい選択であったのだろうと思えたのは、「生まれ育った地元に貢献したい」と話す歌奈子さんの仕事に向き合う姿勢が真面目で真摯だったから。素敵なご夫婦である。
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坂田歌奈子
(以下歌奈子) - はい。高校卒業後に神戸の大学に進学し管理栄養士の資格を取得しました。神戸の病院に就職して、5年勤務しました。
- 歌奈子
- 将来のこと、結婚のことを考えた時、結婚するならその場所に一生住むことになるのだろうと思い、ならば豊岡がいいな、と。両親もいますし、子育てをするにも環境がいいと思えました。
- 歌奈子
- そうですね。帰ると決めていたわけではありませんし、当時はまだ若かったのでどうかな?とは思いますが、豊岡がいやで帰って来なかったわけではありませんから。
- 歌奈子
- 婚約をする前に「私、豊岡に帰りたいんだけど」という話をしました。そうしたら運良くついてきてくれる、ということで(笑)。
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坂田翔太
(以下翔太) - 正直、別れ話なのかなと思いましたね(笑)。まだ結婚をする前だったんですけど、最初はびっくりしました。でも、僕自身ポジティヴな思考なので、男の方が動いても別にいいかな、と思えたんです。
- 翔太
- 生まれも育ちも神戸です。
- 翔太
- そうなんですよ、それも思いました。同じ県内だし、って。豊岡には前に1度くらいは来たことがあって。とはいえ、仕事のことは気にかかりましたね。当時していた仕事を急には抜けられないし、新しい仕事を簡単に見つけられるとも思えなかったので。
- 歌奈子
- 彼は、豊岡のことをすごい田舎だと思っていて。だから、こんなところだよ、と連れてきて色んな場所を見てもらったりしました。
- 歌奈子
- そうです(笑)。同時に市役所の方に住居のことや仕事のことなども相談しました。そうしたことが決まらないと結婚はできないだろう、と思ったので。そうやって色々な方とお話をする中で、彼も心を決めてくれたんじゃないかな、と思います。
- 翔太
- 僕はまったく土地勘もなかったので、彼女に頼るしかなくて。最初は、地元で開かれる就職セミナーに誘ってもらいました。でもそこは新卒就活生が対象だったので、中途採用はなかなか難しくて。それでも売り込んで(笑)。あとは、市役所の方にも求人情報をメールで送っていただくなど、すごくお世話になりました。妻の父親にも協力してもらいましたね。自分の年齢のこともあり、資格を活かすしかないだろうと、仕事を管理栄養士に絞っていろいろ調べました。
- 翔太
- でも、転職中途採用になると、ここが最終かな、と思っていたので。管理栄養士は神戸でも仕事がないんですよ。
- 歌奈子
- この辺りでも管理栄養士の求人が少ないことはわかっていたので、その仕事は彼に譲って、自分は少しでも前職を生かせるような仕事に就ければ、と思っていました。前職ではパソコンを使ってExcelの入力作業などもしていたので、少しはそれが役に立っているんじゃないかな、と思います。もうそろそろ1年になるんですけど、ようやく仕事に慣れてきました。
- 翔太
- 今年度いっぱいは厨房の現場で勉強させてもらって、2019年4月からは栄養士として働かせていただくことになっています。
- 翔太
- 車の運転には慣れているので、大丈夫です。大学卒業後の就職先も、車で1時間ほどかけて通っていたので、苦ではないです。
- 歌奈子
- はい。1回豊岡を離れてみて、小さい頃は気づかなかったことがあったり、違った良さが見えてきたりもしています。都会にはない自然とか、美味しい食べ物とか。
- 翔太
- 今は妻と休日が合わないんですよ。妻はカレンダー通りですけど、僕はシフト制で土日勤務もありますし。アウトドア的なことはまだ何もしていませんね。もともとが超インドア派なので、それは引っ張ってもらおうかな、と思っています。キャンプとか、パラグライダーもしてみたいです!でも怖いような…やってみたいような(笑)。
- 歌奈子
- プレゼンの時に大体の名所には行ったんですけど(笑)、竹野浜にはまだ行ってないので、夏になったら行きたいですね。
- 歌奈子
- 昔と比べて豊岡も住みやすくなっていると思います。私たち世代、いわゆる子育て世代が帰ってきたらさらに町はどんどん変わってくると思います。生まれ育った町に貢献できる仕事もあるので、みなさん帰ってきてください(笑)。
- 翔太
- 僕は、動機が不純なんで(笑)。当時はまだ結婚前でしたけど、彼女と一緒にいたいという、それだけが理由ですから。移住に際しては、市役所の方や地元の方の温かいサポートで、仕事も住まいも決まっていったので、本当に運が良かったと思います。
豊岡に限ったことではないと思いますけど、地元の皆さんの親切はとてもありがたいですよね。今暮らしているのは市営住宅ですけど、自治会長さんに挨拶に行った時も「なんでも聞いて! 相談して!!」と言っていただきました。
雪が降りそうになれば妻の父親がスコップを持ってきてくれるし、仕事場の方や近所の方、みなさんに助けられています。きっと日本中どこでも、人は温かいんだと思います。