人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと - TOYOOKA WORK STYLE(ジョブナビ豊岡)

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2025.01.30

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと

田淵 賢一さん(たぶち けんいち) 41歳

袖長建設株式会社

Uターンした年齢 22歳

2008年入社

こんにちは。飛んでるローカル豊岡で市民ライターをしている田中里佳です。福井県出身。大学卒業後、約3年の会社員生活を経て”自分の働き方と暮らしを見直したい”思いから転職を決意。縁あって豊岡に移住してまいりました。2024年1月より、「地域コミュニティ組織の伴走支援」をテーマに、地域おこし協力隊として活動しています。

今回取材に伺ったのは、袖長建設株式会社です。

袖長建設は、豊岡市を拠点に但馬地域で50年以上の歴史を持つ建設会社です。創業時は※左官職としてスタートし、職人技術を基盤に事業を拡大。現在では、道路やトンネル、橋梁などの公共工事から、戸建て住宅の施工や設計、さらには宅地開発まで幅広く手がけています。

※左官職:建物の壁や床を、漆喰やモルタルなどを使って塗り仕上げる仕事。職人の手作業で、美しい表面や独特の質感を生み出す専門技術。

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと

現場技術者の田淵さんにお話を伺いました!

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと
現場技術者の田淵賢一さん
田淵さんのお仕事の内容を教えてください。
田淵
現場技術者として働いています。主に住宅の外構工事、コンクリートの擁壁工事、道路工事、下水工事などを担当していて、現場での作業や工程管理を任されています。
袖長建設に入社するまでの経緯を教えてください。
田淵
地元の豊岡を一度離れて学校に通った後、22歳のときに戻ってきました。最初は大工を目指して別の会社に入ったんですが、そこでは現場監督的な仕事しかなくて。そのまま会社が倒産してしまったんです。そんな時、当時の現場で知り合った袖長建設の方から「うちに来ないか?」と声をかけてもらって、建設業の違う分野にチャレンジしたいと思い、24歳で入社しました。
まさにご縁があったのですね。田淵さんは、地元で働くことに対してはどんな思いがありますか?
田淵
特に「地元で働きたい!」という強い意志はなかったんです。当時、同世代の多くが豊岡を離れて就職していたので、自分もそうなるかなと思っていました。でも、いろんな縁があって地元で働くことになって。実際に働き始めてみると、遠くへ行かなくても豊岡でできることがたくさんあるんだなと感じるようになりました。家族を持って、子育てをする中で、地元での暮らしの良さも実感しています。最初から特別な思いがあったわけじゃないんですが、仕事を通して豊岡への愛着が深まっていったように思います。
なるほど。今では後輩に教える立場だと思いますが、入社当時に苦労したことはありますか?
田淵
当時は元気なおっちゃんたちが多くて(笑)。その頃は今よりも厳しかった印象がありますね。でも今は全体的に優しい雰囲気になったと思います。
やはり時代とともに職場の雰囲気も変わるものなのですね。現在、田淵さんが大変だなと感じる場面はどんな時ですか?
田淵
現場は一つひとつ異なり、状況も多様です。工期が厳しかったり、現場の状況が複雑だったりする中で、お客様の要望に応えるため、どう困難を乗り越えるかが求められます。時には自分の経験不足を痛感することもありますが、そのたびに仲間と協力し、上司のアドバイスをもとに、より良い成果を目指して進めています。大変ですが、その過程が自身の成長や自信につながっています。
多様な状況に対応するために、仲間とのチームワークが重要になりますね。では、お仕事のやりがいを教えていただけますか?
自分が手がけた工事がずっとその地に残ることですね。通るたびに「これ、自分がやったんだ」と実感できる。子どもに「ここはお父さんがやったんだよ」と見せられることも誇らしいです。

自然と根付く「人」を大切にする姿勢

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと
コンセプトハウス「NAURAA(ナウラ)」。フィンランド語で「笑う」という意味。

「道路や橋、そして家をつくるのも使うのも人」

袖長建設のホームページで最初に目に飛び込んでくるこのメッセージ。その言葉通り、会社全体に「人」を大切にする姿勢が根付いています。「お客様の声」を見ると、「丁寧で親身な対応に安心した」という感謝の言葉が多く寄せられている点も、それを裏付けています。

このことについて田淵さんは、「(人を大切にする社風が)自然と根付いているような感じがしますね。お客様の立場になって考えることが、会社の風土として社員にも自然と根付いている結果だと思います」と語ります。

また、総合管理部で会社の財務面を支える島崎栄子さんは、「来社された方には、誰かがスッと立ってお迎えするような些細な気配りが根付いています。袖長建設はお客様への想いがとても強いと実感します」と話していました。

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと
総合管理部で会社の財務面を支える島崎栄子さん

まちを守る仕事―復興を支えた建設業

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広報を担当している袖長あゆみさん

2004年10月、兵庫県豊岡市を襲った台風23号。

広報を担当している袖長あゆみさんは、当時、小学校1年生でした。堤防の決壊で町が泥水に覆われ、不安と絶望に包まれた記憶を鮮明に覚えています。しかし、建設業の迅速な対応により、堤防はわずか5日で応急復旧され、この事実を最近の講演会で知った袖長さんは、「建設業は『まちを守る仕事』なんだ」と改めて実感したと言います。

普段目立たない仕事かもしれませんが、私にはとても輝いて見えました。建設業があるから安心して暮らせる」と袖長さんは話します。自身が所属する会社の理念「まちを守れる会社、人でありたい」にも、この経験が深く根付いていると語ります。

現場の最前線から描くこれから

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと

建設機械の資格を取得した田淵さん。これからの目標や挑戦について、改めてお話を伺いました。

建設機械の資格を取得されたそうですね。変化はありましたか?
田淵
はい、会社がスキルアップを応援してくれるので、資格を取るための学校に通うなどの支援も手厚かったです。資格を取ったことで自信がつきましたし、重機の点検も自分でできるようになりました。また、「こんなこともできるんだ」と周囲に驚かれることもあり、できることの幅が広がりました。
田淵さんの今後の目標について教えてください。
田淵
自分一人でどの現場でも対応できるようになりたいです。また土木の仕事だけでなく、担い手不足で技術継承が困難になっている「左官」の仕事もできるようになって、建設業ってすごいんだということを、たくさんの人に伝えていけるようになりたいですね。
最後に、Uターンや移住を考えている人にメッセージをお願いします。
田淵
袖長建設は地元に根付いた会社で、豊岡の自然豊かでのどかな町で仕事ができます。仕事終わりや休日に、近くの温泉や海、山に行くこともできて、のんびりしたい人にはぴったりだと思いますよ。
お忙しい中、取材にご協力いただきありがとうございました!

【取材を終えて】

人に寄り添い、地図に刻む―建設業で働くこと

取材前には、まずホームページやSNSをリサーチしながら、「どんなことを聞こう?」「どうすればその会社の魅力や思いを最大限に伝えられるだろう?」と想像を膨らませます。今回は、袖長建設さんの「人」を大切にする仕事への姿勢を、どうしても皆さんに伝えたいと思いました。今年で60周年という歴史を大切にしながら、伝統的な技術を守りつつ、新しい挑戦にも柔軟に取り組む。それを支えるのは、お客様の気持ちに寄り添う従業員の方々の温かさです。この思いが、少しでも皆さんに伝われば幸いです。

撮影:トモカネアヤカ

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